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水の歴史ここから♪ オフィス街に浮かぶ和洋庭園を歩く【水道橋】

仕事に慣れて余裕が出れば、会社周辺をのんびり散歩してみたくなるものです。
暑すぎずに寒すぎず、花粉も収束し気持ちが良いこの季節に自分だけの秘密の場所を見つけましょう。

今回は都心に潜む、ちょっと見つけづらい水道橋の穴場庭園です。

大学受験のための予備校に通っていた頃、水道橋・御茶ノ水・後楽園の界隈は僕の庭でした。

散歩したい日には、東京メトロ丸ノ内線の後楽園駅で下車し御茶ノ水まで歩くのが当時の密かなマイブーム。道中にある東京ドームシティで巨人ファンと阪神ファンの小競り合いを見たり、大きなドームホテルの足下を歩きながら大学入学後はここでアルバイトをしたいと想像したり(実際、ホテル内の中華店で働きました)。たまに予備校を通り過ぎて神保町の書店に足を運んで英気を養うなど、かなり知見を広めた土地だと思っています。

13年前のドームシティは開発の真っ只中。ドームシティ入り口の一部は、まだ仮囲いの壁で塞がれている状態でした。その壁に掲げられていたのが観光客向けの「後楽園マップ」。さらにそのマップの隅ぎりぎりに描かれていたのが「本郷給水所公苑」だったのです。

地理的に予備校と真逆の方向だったので、当時は行く機会がなかったんですね。今回このコラム執筆で思い出したのも何かの縁。久しぶりに水道橋に降り立つ次第となりました。水道橋駅の線路を挟んで北側、御茶ノ水駅寄りに歩くこと5分。

さらに地図アプリを見ながら順天堂病院や東京都水道局の建物の間をぐるぐる歩き回ってようやく「本郷給水所公苑入り口」と書かれた小さな看板と階段を発見。何と分かりづらいことか…。訪問の時間帯が悪かったのか日当たりも悪く暗い道です。

「和風庭園」人工地盤の上とは思えないほど木々が茂り、小川や池が造られた風景は武蔵野をイメージしたもの。奥には四阿(あずまや)が設けられランチスポットになっています。

ところが階段を登ると先ほどまでの暗い印象が一転。雑木林にはきれいな小川が縫うように流れ、緑葉の間から差し込む木漏れ日が草花を照らしています。

「沼の木道」和風庭園の一角には沼も。上部から見学できるよう木道が設けられていて、覗き込んでいると建物の上だということを忘れてしまう。

僕が散策した祝日には小学生が缶けりに興じる声が響いていました。そんな池や小川を中心とした和風庭園の先には、フランス式の幾何学的模様でデザインされた洋風庭園が開放され、周囲にはバラが植栽されています。日光を遮るものはなく、屋根が備え付けられたベンチスペースがあるのみ。

「洋風庭園」水道局給水所の施設上部に人工地盤を設けて造られた庭園。赤屋根のバーゴラのベンチには周囲で働く人達が疲れを癒やしています。バラの見頃は5月中旬と10月中旬。芝生地を囲った花壇にある約300株が目を楽しませてくれます♪

まだ夏の足音がしない今の時期には、涼しい風を受けながらリラックスするのにうってつけです。そんなオシャレな公苑周辺の歴史を深堀りすると東京の水道の起源が垣間見えてきます。

先ほどの和風庭園の奥には、江戸時代に市中をめぐった水道「神田上水石樋」の遺跡一部が復元されています。

和風庭園の東側に復元された「神田上水石樋」。神田川分水路の工事で発掘され復元されたもの。当時の技術力の高さがうかがえます。

大都市を誇った江戸は、もともと武蔵野台地の東端に位置する小さな村落だったそうです。そこに初代将軍の徳川家康が入府した際に、良質な飲料水を求めて家臣に開削させたのが神田上水の始まりだと言われています。

現在の三鷹・井の頭池を水源にした神田川から取水し、神田・日本橋方面の飲み水に利用していた水道として明治34年まで活用していました。つまり神田上水は東京の水道第一号になったわけなんですね。

ちなみに「水道橋」という地名は、神田上水の水を市中に通水させるための水道管の橋に由来します。今でも水道橋から御茶ノ水にかける歩道のわきに「神田上水掛樋跡」と大きな石樋があるので散歩がてら探してみるのも一興ですよ。

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