自身の作品を酷評され、ビートルズを解散させた女として世界中でバッシングされ心を痛めたり…。周囲からは強い人間だと思われていても、誰しもが悩みや憂い事はあるもの。どんなときでも、強い信念を持つことで変われることを証明した彼女の生き方に学びたい。
“ロックを潰した” ジョンレノンが出演した伝説的な音楽フェス
1969年9月13日に、カナダ・トロントにあるヴァーシティ・スタジアムで、伝説的な音楽フェスティバル「トロント・ロックンロール・リバイバル1969」が開催されました。このフェスの聴衆は約2万5千人とされていて、当時大人気だった、ドアーズ、シカゴ、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイス、そしてジョン・レノン&オノ・ヨーコらが参加しました。本作はこの音楽フェスに熱狂した聴衆の姿と、その舞台裏に迫ったドキュメンタリー作品です。「ヒッピー文化の元、ロックは死んだ…。」1960年代のアメリカでは、ヒッピー文化が広まり世界的なビートルズの人気もあって、それまで全盛を迎えていたロックンロールという音楽と思想は勢いを失っていました。そんな1969年に、これまでのロックの復活を願って、カナダ版ウッドストックとも称される「トロント・ロックンロール・リバイバル」が開催されたのです。
ビッグミュージシャンの出演も取り付けたトロント・フェスですが、当初はチケットの売れ行きが芳しくなく、主催者側は頭を悩ませていました。そこで、ジョン・レノンにライブのMCもしくは、出演をオファーしようという案が浮上したのです。当時ジョンが在籍していたビートルズは休眠状態だったのですが、観客を前にしたライブから遠ざかっていたジョンは逡巡しながらも、エリック・クラプトンも参加する「プラスティック・オノ・バンド」としてオファーを受けたのです。ジョン・レノン&オノ・ヨーコの映像から始まる本作は、ビートルズの“解散前夜”の記録としても重要。作品の途中でジョンが芸術を、ヨーコがコンセプトを担当していたという証言もあり、ジョンがビートルズとは異なった音楽メッセージを「プラスティック・オノ・バンド」で表現したいという気持ちが強く伝わってきます。そして、チャック・ベリーが歌う「ロックンロール・ミュージック」の映像も流れるのですが、そのステージを袖で見ているドアーズのジム・モリソンの姿も映るなど、音楽史としてのお宝映像が満載。ロックの復活の日『リバイバル69〜伝説のロックフェス〜』を是非劇場で体験してみてください。
“サークルクラッシャー”と揶揄され世界中からバッシングされたことも
そして、世界で最も有名(セレブリティ)な日本人のひとりである、オノ・ヨーコは1933年東京で生まれました。裕福な家庭で育ったヨーコはアメリカと日本を行き来する生活をしながら、大学時代に前衛芸術の活動を始めます。そして彼女は二度の結婚を経て、ジョン・レノンと出逢います。ジョン&ヨーコは、前衛的なパフォーマンスや音楽活動を通じて関係がより深まり結婚しますが、ビートルズのレコーディング現場にジョンがヨーコを連れて行きポールが音楽創作に集中できないと激怒したエピソードは有名です。
1970年にビートルズが解散すると、その原因はオノ・ヨーコのせいだと、彼女は世界中のビートルズファンからバッシングを受けました(コミュニティでの人間関係を悪化させる人物を意味する「サークルクラッシャー」という用語と同義で、「yoko」もしくは、「yokoono」という名詞が世界共通語にもなりました)。ビートルズが解散してから10年経過した1980年12月、ジョンがダコタハウス前でマーク・チャップマンに射殺された(ヨーコも現場に居た)後も、彼女は活動を止める事なく、強い女性の象徴としてこれまで社会的メッセージを発表してきたのです。そんなオノ・ヨーコですが、実は若い頃には作品が酷評されたことも一因で自殺を図り、ビートルズを解散させた女として世界中でバッシングされ心を痛めた頃もありました。人には強い人間だと思われていても、誰しもが悩みや憂い事があるはず。そんな時でも信念を持てば外野の声も吹き飛ばせるはず。ヨーコがその後に自我を保ったのは“芸術”と“平和”に対する思いだったのです。
リバイバル69~伝説のロックフェス~
監督 ロン・チャップマン 出演(フェス出演者) キム・フォーリー(MC)、シカゴ(当時のバンド名はシカゴ・トランジット・オーソリティ)、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリー、ジーン・ヴィンセント、アリス・クーパー、リトル・リチャード、プラスティック・オノ・バンド(ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、エリック・クラプトン)、ドアーズ他 公開 10月6日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町他
この記事を書いたひと
コトブキツカサ(映画パーソナリティー)
1973年生まれ。小学生の頃からひとりで映画館に通うほどの映画好き。現在、年間500本の映画を鑑賞し、すでに累計10,000作品を突破。1995年より芸人時代を経て、2010年より「映画パーソナリティー」としての活動を開始。近年は、俳優としての顔ももち、ドラマや映画にも出演。活動の場を広げている。